スミソニアン合意(Smithsonian Agreement)とはなんでしょう?
スミソニアン合意とは、1971年12月にワシントンD.C.のスミソニアン博物館で開催された先進10か国の会議で成立した、国際通貨制度に関する合意のことです。
スミソニアン合意に参加した10か国
スミソニアン合意に参加した先進10か国(G10)は、当時の主要なIMFの「10か国グループ」がベースになっています。
・アメリカ
・日本
・イギリス
・西ドイツ
・フランス
・イタリア
・カナダ
・ベルギー
・オランダ
・スウェーデン
IMFの「G10」と呼ばれる国々で、1960年代から国際通貨制度の協議を行いました。
スイスは、スミソニアン合意時点では「11番目」として正式メンバー外。
会議の場所がスミソニアン博物館だったため、スミソニアン合意となっています。
スミソニアン合意の背景
米ドルを基軸に各国通貨を固定相場で運用していた1944年のブレトン・ウッズ体制。
(1ドル=金35ドルでドルと金が交換可能)
しかし、1960年代後半からは、米国のベトナム戦争支出、財政赤字の拡大によって米ドルへの信認が低下。
1971年8月には、ニクソン大統領が金とドルの交換停止することを発表。
(いわゆるニクソン・ショック)
これにより固定相場制は大きく揺らぎました。
スミソニアン合意の内容
1971年12月のスミソニアン会議で決定した点。
・ドル切り下げ(1オンス=35ドルを38ドルへ)
・実質的にドル安・各国通貨高。
・各国通貨の対ドル再調整(円:1ドル=360円から308円へ切り上げ、その他通貨、マルク、ポンド、フランス・フラン、リラなども同様にドルに対して切り上げ)
・為替レート変動幅の拡大(従来 ±1%から±2.25%に拡大)
その後の動向
短期的には「ドル防衛」と「固定相場体制の延命」を目的に機能しました。
しかし米国の貿易赤字は続き、各国通貨に対するドル安圧力も収まらなかったです。
1973年に主要通貨は変動相場制へ移行し、スミソニアン合意は事実上崩壊したことになります。
まとめ
スミソニアン合意は、ニクソン・ショック後のドル不安定を一時的に収めるための国際的な通貨調整で機能しました。
長期的にはブレトン・ウッズ体制を維持できず、世界は変動相場制へ移っていきました。